永遠はミモザの香り・お遊び1

 あんなに暑かった夏は跡かたもなくすっかり消え去って、コルヒドレ家の庭園にある落葉樹は、あるいは赤く、あるいは黄色く色づきはじめています。
 わたくしは珍しく昼用のドレスに身を包み、化粧をして、髪を結いあげていました。けれど、ふだん怠けてばかりいるので、それがなかなかうまくゆかないのです。もう時間があまりないのに、何度やり直してみてもうまくバランスがとれません。
 仕方なしに髪飾りでごまかして、わたくしは私室を出ました。
 これから、王宮へと行かねばならないのです。

 十日ほど前のことです。
 いつものように王宮からお帰りになったルファルド様は、だいぶ慣れた様子でお帰りのあいさつをなさると、一通の封筒を差し出しました。
「陛下からの招待状だ」
「招待状、ですか?」
 真っ白な、厚手の紙でできた高価そうな封筒です。何の気なしに裏返してみると、紅いロウで封印がしてありました。その紋章は間違いなく、鷲と七つの星をかたどった王家のものです。
「陛下は三月に一度、主だった貴婦人を招いてお茶会を開いている。また近々開かれるようだから、それへの招待状だろう」
 わたくしが戸惑いながら開封すると、ルファルド様が説明してくださいました。その言葉のとおり、開いたカードには女王陛下のお茶会への招待の言葉がつらなっています。
 ひととおり目をとおして、わたくしは口を開きました。
「どのくらいの規模のお茶会なのですか?」
「春はすべての有爵家の夫人が招待されるが、それ以外は伯爵家以上の者のみだ。おそらく、陛下は各家の状況を把握しておきたいのだろう。参加者は既婚者に限られている」
 どうりで覚えがないはずです。わたくしの実家には、招待されるべきお母さまはすでにいらっしゃいません。
 わたくしはもう一度カードに目を落とし、それから顔を上げました。
「そうですか。それは……行かねばなりませんね」

 正直、気のりはしませんでした。
 わたくしが社交界に出たのは、二年以上前の女王陛下の戴冠祝いの夜会だけです。ああいった場に向いていないのは、よくよく承知しています。
 けれど、ルファルド様の妻として、女王陛下のご招待をお断りするわけにはゆきません。それに、これからはそういった場に出ることもたびたび必要になるでしょう。夜会よりは昼のお茶会の方が、まだ気持ちが楽ですから、考えようによってははじめに貴婦人ばかりが集まるお茶会にご招待いただいたのは幸運なのかもしれません。

 ルファルド様が手配してくださった貸し馬車で王宮へ向かうと、会場の庭園にはすでにかなりの方がお集まりになっていました。昼のお茶会とはいっても、みなさま、きらびやかによそおっていらっしゃいます。わたくしは象牙色の自分のドレスを見て、少し地味だったかと自問しました。これでも、わたくしにしてはかなり着飾っているのですが、この美々しい集団の中に入ってゆくのは気がひけます。
「あら、コルヒドレの」
 庭のかたすみでどうしようかと思っていると、ふいに、後ろからそんな声が聞こえました。思わずふりむくと、わたくしよりも少しお年が上の方でしょうか。二十代半ばくらいの数人の貴婦人が、優雅に扇で口元を隠しつつわたくしの方を見ていらっしゃいます。
 見覚えはありませんが、結婚したときの披露パーティーには主だった貴族の方がほとんどご出席になりましたから、わたくしの顔をご存知でもおかしくありません。
 目が合ったのでとりあえず頭を下げると、その貴婦人方は顔を見合わせ、それからこちらへと歩いていらっしゃいました。

「ご結婚以来かしら」
「コルヒドレ様がいらっしゃるなんて、珍しいこと」
 抑えたお声で口々にそうおっしゃられて、わたくしは困りました。どなたがどなたなのか、さっぱり分かりません。わたくしはあわててお答えしました。
「ごぶさたいたしております」
 それ以外、何と言って良いのか分からなかったのです。
 貴婦人方は笑まれたのでしょう。すっと目を細くしてお話を続けました。扇で口元を隠していらっしゃるので、表情がよくわかりません。
「お話したかったんですのよ」
「もっと出ていらっしゃればよろしいのに」
「ああ、けれど……コルヒドレ様はいろいろ大変なようですものね」
 そうおっしゃると、貴婦人方はわたくしを上から下まで眺めて、ころころと上品に笑いました。
「尊敬してしまいますわ、あのコルヒドレ家にお入りになるなんて」
「本当に。裕福なご家庭でお育ちになられたのに、よくご決断なさいましたね」
 わたくしは本当に困っていました。貴族の方の話し方は、基本的に回りくどくて何がおっしゃいたいのかまるで分からないのです。何とお答えして良いのか分からず、「いえ、その」と口ごもると、その内のお一人が扇を閉じました。
「あら、謙遜なさる必要なんてありませんわ」
「ええ。なかなかできないことですわ。いくら地位のためとはいえ、身売りなさるなんて」
 扇を閉じた方がそう言うと、さげすむような目でわたくしをご覧になりました。
「あら、ごめんなさい」
「……」
 嘲笑とでもいうのでしょうか。貴婦人方は冷たい笑みを浮かべます。
 わたくしは黙りました。
「わたくしたち、とっても驚きましたの。ずいぶん思い切ったことをなさるんですもの」
「わたくしどもには、そこまで打算的に生きられませんわ」
 黙っていると、貴婦人方は口々にそんなことをおっしゃいます。
 珍しいことでした。貴族の間では、感情をあらわにすることは下品だと言われるのです。今日のように公の場であれば、よけいに仮面のような笑みを浮かべるものです。
 それにも増して、わたくしには不思議でならないことがありました。
「おかしいのでしょうか」
 貴婦人方が口にされているのは、すべて事実です。
 もちろん他にも色々とありますが、何よりもわたくしは地位のために結婚したのです。それはわたくし自身の事情もありますが、お父さまはそんな了見の狭い方ではありません。領のためになる縁組を選んでいるはずです。
 貴族というのは、領民に生かされる代わりに生涯を領民に捧げるもの。計算ずくで結婚するのは当然の義務です。
 そんな当たり前のことを、どうしてわざわざ面と向かっておっしゃるのか。それが不思議で、わたくしは思わず、そう口にしていました。
「え?」
 貴婦人方は目を丸くしてわたくしを見ています。
 やっぱり、わたくしは何か間違った認識を持っているのかもしれません。わたくしは生粋の貴族ではありませんし、この国の生まれでもありませんから、こういうことはよくあるのです。最近はほとんどなかったのですが、お父さまが爵位をいただいたばかりの頃はしょっちゅうでした。
 不安になって、わたくしは聞きました。
「お国や領民に良いように縁組をするのは普通のことだと思うのですが……何かわたくし、おかしなことをしておりましたでしょうか」
「……」
 こういうときは素直に聞いてしまう方が良いのです。けれど、貴婦人方は何も答えてくださいません。

 困って、思わず首をかしげると、貴婦人方の向こう側から声がしました。
「メイサは何も間違ったことはしていないと思いますわ」
 その声に、さっと貴婦人方が振り向きます。それで姿が見えました。
 わずかに赤みがかった金色の髪を高く結い上げ、淡い紫の細身のドレスに身を包んだ、目もさめるように美しい方。年の頃は二十代前半。知的で落ち着いた美貌の女性が、ぴんと背筋を伸ばして立っていらっしゃいます。
「ギエナ様」
 ギエナ・ラドファイル様。わたくしの後見をしてくださっているラドファイル卿のご令嬢です。今はお婿様を取られて、実質的にラドファイル家を切り盛りなさっているのです。
 わたくしはその名を口にし、頭を下げました。ギエナ様は貴婦人方の間を通り抜け、わたくしのすぐそばまでいらっしゃいます。
「久しぶりですね、メイサ。きっと来ていると思って、探しましたのよ?」
 ギエナ様はわたくしの手を取ると、にっこりと上品に微笑んでそうおっしゃいました。それがまたお美しいのです。ギエナ様はひとつひとつの表情や動作に気品があふれていて、これぞ貴婦人のかがみというような方なのです。
「おそれいります」とお返事すると、ギエナ様はわたくしの手を引きました。
「陛下がお話したいそうですから、行きましょう」
 わたくしは一瞬、迷いました。まだ他の貴婦人方とお話中です。けれど、陛下がお呼びと言われては、行かないわけにはまいりません。
 結局、「はい」とお答えして、わたくしはギエナ様にしたがいました。
「失礼いたします」
 わたくしが言うと、貴婦人方は頭をさげてそのまま見送ってくださいました。

「メイサ、あの方々とお知り合いですの?」
 ギエナ様が人波を優雅に切り抜けてゆくのについて歩いてゆくと、ふとギエナ様が振り向いてわたくしにお聞きになりました。
「いいえ。お名前がわからなくて、困っておりました」
 わたくしがお答えすると、ギエナ様は前を向かれます。
「そう。それで良いと思いますよ。誰にでも丁寧なのは貴女のいいところですけれど、自分を侮辱した方にまで礼を尽くす必要はないと、わたくしは考えますわ」
「侮辱?」
 わたくしはギエナ様の言葉に、首をかしげました。
 先ほどの貴婦人方とのやりとりを、頭の中で思い出します。よくよく思い出し、ああそう言えば、皆さまわたくしをあざ笑っていらっしゃったなぁと思い、それでようやく分かりました。
 つまり、あの方々は「金で地位を買ったなりあがりものめ」とおっしゃりたかったのでしょう。本当に、貴族の方々の言葉はまわりくどくて、分かりづらくて困ります。わたくしのように頭の回転が遅い者には、何をおっしゃっているのかさっぱり分かりません。
「ああ……わたくし、侮辱されていたのですね」
「……本当に、貴女らしいですわ」
 わたくしがつぶやくと、再び振り向いたギエナ様は、すこしばかりあきれたようなお顔でそうおっしゃいました。そんなお顔をされても、ギエナ様は優雅です。
「また間違えたのかと思ったのです」
 自分の愚鈍さがはずかしくて、わたくしが言い訳のように言うと、ギエナ様は微笑みました。
「そう。大丈夫ですよ、貴女はもう立派な貴婦人です。もしまた分からなければ、わたくしにお聞きなさい」
 ギエナ様はむかしと同じようにそう言うと、また前を向きました。

(C) まの 2009