永遠はミモザの香り・お遊び2

 わたくしが生まれ育ったのは、ここテラリスよりもずっとずっと北にある、フェルバという国です。とても寒い国で、冬になるとわたくしの背丈以上の雪が長いこと積もっているのです。
 テラリスに来たのは今から六年前、十二の年のことでした。
 お父さまの旧友だったラドファイル様のお屋敷に、行儀見習いも兼ねて預けられ、わたくしはそこで三年ほどを過ごしました。「お前のテラリス語がバカ丁寧なのは、きっとそのせいだろう」とお父さまはおっしゃいます。
 テラリスという国は、十二のわたくしにとって、まるで別世界でした。わたくしが知っていた「神さま」とこの国の「神さま」は違いますし、比較的温かいこのテラリスと極寒のフェルバでは生活様式もまるで違います。それまでの「常識」は「常識」ではなくなって、この国に来たばかりのわたくしは大いに混乱しました。
 わたくしが預けられたラドファイル様には、三人のお嬢様がおありでした。何も分からなかったわたくしに色々と教えてくださったのは、そのいちばん上のお嬢様であるギエナ様です。
 ギエナ様はわたくしがこの国の常識に照らし合わせておかしなことをしてしまっても、いつもお怒りになることもなく「フェルバという国はずいぶんと習慣が違うのですね」と感心なさっていました。時にはわたくしが生まれ育ったその国の話をお聞きになることもありました。
「もう大丈夫ですよ。貴女は立派な貴婦人です。もしまた分からないことがあったら、手紙でわたくしにお聞きなさい」
 ラドファイル様のお屋敷からお父さまのお屋敷に移る時、ギエナ様はお別れにそうおっしゃいました。その言葉は、今でもわたくしの宝物です。
 常に知的で、上品で、優美で、わたくしにとってギエナ様は今でもあこがれのお姉さまなのです。

「陛下、メイサ・コルヒドレをお連れしました」
「おお、来たかぇ」
 ギエナ様がお声をかけると、お茶を口になさっていた陛下がお顔を上げられました。
 輝くような金色の髪に、どこまでも澄んだ青い瞳。
 瞳の色に合わせた鮮やかな青いドレス姿の陛下は、今日もまばゆいほどにお美しくていらっしゃいます。
 わたくしは頭を下げました。
「おもてを上げよ」
 陛下のお言葉に、恐るおそる顔を上げます。
 戴冠祝いの夜会のときと、結婚式のとき。陛下にお目どおりするのはこれで三度目ですが、まだ慣れません。
「そう緊張することはない。ルドの嫁御じゃ、わらわとは義理の従妹になるのだから、もっと堂々としておれば良い」
「はい」
 お答えする声は、我ながらどこか頼りないものでした。わたくしも堂々としていたいのは山々なのですが、緊張してしまうのはどうしようもないのです。追々、慣れるようにしなければなりません。
 わたくしがひとりどきどきしていると、陛下はギエナ様に目を向けました。
「ギエナとは懇意なようだのぅ」
「メイサはラドファイル家に行儀見習いで上がっていたのですわ、陛下。わたくしたち姉妹の、可愛い末の妹ですの」
 ギエナ様は陛下とお話するのにも慣れていらっしゃるのでしょう。いつもどおりの優美さでそうお答えになると、陛下の後ろへと視線を移しました。
 陛下の後ろには、護衛の方々が何人も立っていらっしゃいます。その中に、ひとり女性がまじっています。
 わたくしはそれに気づいて、目を丸くしました。今まで陛下に気をとられてずいぶん回りが見えていなかったようです。
「ねぇ、エラキス」
「ああ」
 ギエナ様の呼びかけに答えたその護衛の女性は、わたくしへと目を向けました。
 赤みの強い金髪に、ギエナ様と同じ紅玉のように真っ赤な瞳。陛下の護衛として、この国では知らない者などいない、たぶん国で陛下に次いで有名な女性。彼女は涼やかに微笑んで、わたくしに声をかけました。
「久しいね、メイサ」
「ごぶさたいたしております、エラキス様」
 エラキス・ラドファイル様。ギエナ様の妹君で、わたくしがラドファイル家にお世話になっていた頃にはよくダンスを教えてくださいました。
 背が高くて、凛としていらっしゃって、剣が大変にお強いのです。殿方以上に男前だと評判の、真っ赤な男装の麗人です。
 陛下はわたくしとエラキス様を見比べて口を開かれました。
「ほう、エラキスも。……珍しいのぅ」
 エラキス様は、武人であるためかあまり表情をおもてに出されません。言葉数も、ルファルド様以上に少ない方です。エラキス様がこうしてお話してくださる方は限られているので、陛下は「珍しい」とおっしゃったのでしょう。
 陛下のそのお言葉に、エラキス様に代わってギエナ様が口を開きました。
「メイサは可愛らしいでしょう? わたくしたちでは着られないような、それはそれは可愛らしいドレスをたくさん着せて遊びましたのよ」
「……」
 わたくしは思わず黙りこみました。
 たしかに、わたくしはラドファイル家でひらひらのフリルにレースやリボンがふんだんに使われた、恐ろしく高価そうなドレスを次から次へと着させられました。いわゆる、着せかえ人形役だったのです。ギエナ様やエラキス様、それに、今日はいらしていませんが末妹のサディラ様は美しすぎて、そういうゴテゴテしたものよりもシンプルなものの方がお似合いになるので、皆さまご自身ではお召しにならなかったのです。代わりに、手近にいたわたくしに着せて遊んでいらっしゃいました。
 しかし元・貧乏人のわたくしにとって、それがどれほどの恐怖だったことか! 今以上に高価なものに怯えるたちの強かったわたくしは、着替えのたびに寿命が縮まる思いでした。
 わたくしはラドファイル家の皆さまには大変にお世話になりましたし、皆さまのことが大好きです。大好きですが、これだけはあまり良い思い出ではありません。
 ところが、それを聞いた陛下はころころとお笑いになっておっしゃいました。
「なるほど。それは面白そうじゃのぅ」
「ええ、とっても楽しかったですわ。また遊びたいですわねぇ」
 ギエナ様が恐ろしいことをおっしゃいます。それに、無口なエラキス様が珍しく身を乗り出して言葉をつぎました。
「メイサなら今でも問題ないだろう。以前とはまた違ったものも似合いそうだ」
 問題だらけです! むしろ問題しかありません!
 ギエナ様たちは喜んでいらっしゃいましたが、あの、ふりふりひらひらきらきらのドレスは、わたくしには泣きたくなるほど似合いませんでした。もっと可愛らしい、本当のお人形のような子が着ればそれはさぞ可愛らしいでしょうが、わたくしはそんな容姿など持ち合わせていません。ただ単に、ギエナ様方に比べてわたくしが小柄で間の抜けた雰囲気だったからまだましに見えただけです。
 しかも、あの頃はまだ子どもっぽさがありましたけれど、今はすっかり育ちきってしまいました。もういちどアレをやるなんて、無理にもほどがあります!
 言いたいことは山のようにありましたが、何も言葉にならなくて、わたくしはふるふると首を横に振りました。けれど、ギエナ様はそれをさっくりと無視なさいます。
「そうですね。今日は来られなかったけれど、サディラも会いたがっていましたし。今度、家へいらっしゃい。せっかく王都にいるのですから、また遊びましょう」
 思い切り首を横に振っているのですが、ギエナ様はにっこりと微笑んでわたくしにそうおっしゃいます。……これは、拒否は許しませんということでしょうか。ギエナ様は、ふだんはとてもお優しいのですが、ときどきとても怖いのです。今も目は笑っていらっしゃいません。
 そこへ陛下がお声をかけられました。
「ずるいのぅ、わらわは除け者かぇ?」
「……」
 止めてくださるおつもりはないようです。ギエナ様は、何でもなければうっとりしてしまいそうな、それはお美しい微笑みを浮かべておっしゃいました。
「陛下もお好きですね。では、エラキスのところにいたしましょう」
「それは良いのぅ」
「非番は明後日だな」
「……」
 ……どうやら、すでに決定事項のようです。

「それでそんなに疲れているのか」
 夕食をとりながら今日のお茶会での話をすると、ルファルド様はいかにも楽しそうに笑ってそうおっしゃいました。ルファルド様がこんなに分かりやすく楽しそうにしていらっしゃるのは珍しくて、それはそれで良いのですが、笑いごとではありません。
「……笑いごとではありませんわ」
 ですからそういった声は、我ながら非常にうらみがましいものでした。
 たかが着せかえ、とむかしお父さまにお話したときも同じような反応でしたから仕方がないのかもしれませんが、わたくしには本当に、本当に、本当に恐怖なのです。

「ギエナ様たちは高価なドレスをつぎつぎと、満足なさるまでは何十枚でも着せるんです。しかもその場でドレスに手を加えたりなさるんです。怖いんです、心臓が止まりそうになるんです」
「そ、そうなのか?」
 切々とうったえると、ルファルド様はわたくしに気おされたように言います。わたくしは深々とため息をつきました。
「着ていた総レースのドレスの裾を切られたときは、本当に意識が遠のきました」
「……」
 いったいどれほどのドレスだったのでしょう。少なくとも、現在のコルヒドレ家の生活費三ヶ月分はするものだと思います。幾重にも重なった可憐な総レースのドレスでした。
 あのときは、確かエラキス様が「もっと短い方がいい」とおっしゃって、ギエナ様が「そうですわね」と同意し、「では切ってみましょう」とサディラ様が一片のためらいもなくざくざくと切っておしまいになったのです。わたくしはあまりのことに意識が遠のいて、どなたかの「少し短くなりすぎてしまったかしら」というお声に、このまま心臓が止まってしまうのではないかと本気で思ったものでした。
 ラドファイル家の三姉妹は皆さま良い方なのですが、三人そろうといつもそんな調子で、恐ろしいことをあっさりとなさるのです。こと、金銭感覚は生まれながらの大貴族ですからわたくしとはどうしても相入れないのです。怖いのです。
 きっとわたくしは遠い目でもしていたのでしょう。ルファルド様が「大丈夫か」と気づかわしげにお聞きになりました。
「あまり大丈夫ではありませんが、何とかがんばります……」
「……」
 わたくしはうつろに微笑みました。
 全力で逃げ出したいですが、そういうわけにはゆきません。ギエナ様には今日もご迷惑をかけてしまいましたし、他にも色々、いろいろご恩があるのです。

 重い気持ちでライ麦パンを口に運んでいると、ふいにルファルド様がスプーンを置きました。どうしたのかと思って顔を上げると、ルファルド様はわたくしをじっとご覧になっています。
「陛下に話をしてみようか」
 やがて、ルファルド様はおもむろにそういいました。
「え?」
 わたくしが首を傾げると、ルファルド様は微笑みます。
「貴女の心臓が止まっては困る」
「……」
 冗談めかして、けれどそのお声にも灰色の瞳にも心配がにじんでいます。
 その言葉に、わたくしの胸に重石のように沈んでいた気持ちが、ふっと浮かびあがりました。
 ルファルド様はそうやって、いつも心からわたくしを気づかってくださいます。そのたびに、胸がぽかぽかと温かくなるのです。

「ルファルド様がそうおっしゃってくださったので、きっと大丈夫です」
 何が解決したわけでもありませんが、そう口にすると本当に大丈夫な気がしてきました。
 ルファルド様はまだしばらくは心配そうにわたくしをご覧になっていましたが、やがて「そうか」と小さくつぶやくようにおっしゃいました。

(C) まの 2009