永遠はミモザの香り・お遊び3

 二日後の昼下がり。
 わたくしはこのあいだのお茶会のときと同じように、昼用のドレスに身を包み、化粧をして、髪を結いあげていました。今日は、ひとあし早いですが枯葉色のドレスです。
「奥様、ラドファイル様がお見えになりました」
 したくを終えて居間へ向かおうと階段を降りると、わたくしが仕立てたシャツを取りに来てくれていたラサルガさんが、階段の下からそう言いました。
 見ると、玄関には立派な御者の身なりをした人が立っています。
 わたくしはラサルガさんに後を頼んで、慌てて玄関へと向かいました。

 御者の方にエスコートされて外に出ると、玄関から少し離れた馬車止めには、豪奢な馬車が止まっていました。
 急いで乗り込むと、馬車には上品なグレイのドレス姿のギエナ様と、その妹君でラドファイル家の末娘、サディラ様が乗っていらっしゃいます。
 サディラ様は上のお二方にくらべて髪に赤みがほとんどなくて、王家の方々のような輝く金色です。瞳も、海のような青色をしていらっしゃいます。華やかな雰囲気のある方なので、鮮やかな赤いドレスがよくお似合いです。
「失礼いたします」
 わたくしが声をおかけして隣に座ると、サディラ様は懐かしそうに目を細くされました。
「メイサ! 久しぶりですね!」
 サディラ様は未婚なので、このあいだのお茶会にはいらっしゃっていませんでした。お会いするのは、結婚以来なので三月ぶりでしょうか。それも、あのときはルファルド様にしたがって次から次へとごあいさつに回りましたから、ほとんどお話をしていません。
 サディラ様はわたくしをぎゅっと抱きしめると、「何だか懐かしいですわ」とおっしゃいました。覚えのある香水のかおりに嬉しくなります。
 サディラ様はお三方の中でわたくしといちばん年が近くていらっしゃるので、ラドファイル家にお世話になっていた頃は最もご一緒することが多く、とても可愛がっていただいていたのです。
「お久しぶりです、サディラ様」
「会いたかったわ! 貴女ったら、結婚してから手紙もあんまりくれないんですもの」
「も、申し訳ありません」
 実家にいた頃には月に一、二度、お父さまが王都へゆくのに合わせて書いていたのですが、結婚してからはそのついでがなくなってしまったので、まだ一通しか出していないのです。
 そんなお話をしていると、馬のいななきが聞こえました。馬車がゆっくりと動きはじめます。
「サディラ、嬉しいのは分かりましたから、そのくらいにしておきなさい」
 ギエナ様は馬車が動き出したことを確認すると、そうおっしゃって前を向きました。ぴんと背筋を伸ばして、口元にかすかな笑みを浮かべたギエナ様は今日も相変わらず優雅です。
「はい」
 わたくしとサディラ様はそうお返事して、ギエナ様にならい前を向きました。ちらりと小窓から外を見ると、門のところでラサルガさんが礼をして馬車を見送ってくれていました。

 ここ、テラリスの王都・ポラリスは、中央に王宮とそれを取り囲む森のような庭園があって、その周囲に、貴族たちが住む地区と下町が二重の円を描くように広がっています。街の、東西南北のはずれにはそれぞれ聖堂があって、南にあるのが、わたくしたちが婚礼を上げた大聖堂です。
 コルヒドレ家のお屋敷は、王宮から見て北東。王宮からはごく近くにあって、ルファルド様は毎日歩いて通っていらっしゃいます。コルヒドレ家に馬を飼う余裕がないのがその理由ですが、ルファルド様いわく、「歩いた方が早い」らしいです。馬車は乗り降りに時間がかかりますし、何より、原則的には王宮の南側にある正門からしか入れないからです。

 ルファルド様が毎日通っていらっしゃる東門を素通りし、南門で審査を受けて、馬車止めで馬車を降りたのは、わたくしが乗り込んで四半刻もたった頃でした。わたくしは実際に歩いたことがないので分かりませんが、ルファルド様はだいたい、この半分くらいで王宮に着くそうです。
 馬車を降りると、エラキス様はすでに馬車止めでわたくしたちの到着を待っていらっしゃいました。
 エラキス様は今日も男装です。非番なので、先日よりも質素な服装でいらっしゃいます。エラキス様は背が高くて足も長いので、細身のパンツがよくお似合いです。
 わたくしたちはエラキス様を先頭に、王宮の中を歩きました。ルファルド様と似た紺色の制服を着た文官の方や、王宮付きの侍女の方とすれ違いながら、そのお部屋を目指します。
 やがて、たどりついたエラキス様の私室は、茶色を基調とした質素なお部屋でした。王宮にお勤めする方々の平均がどのくらいなのかは存じ上げませんが、エラキス様のような大貴族の令嬢にしては狭めの、けれど勤め人としては広めなのではと思われる広さです。部屋の奥に一人用のシンプルで小さいベッドとクローゼットがあって、反対側には書き物用の机とイスが配置されています。中央には四人がけのテーブルセット。
 その長椅子にはすでに色とりどりのドレスが山積みになっています。
 わたくしは思わず立ち止りました。ある程度、覚悟はしてきましたがそれでもこれをすべて着るのかと思うと急に憂鬱で仕方がなくなってしまったのです。
 けれど、わたくしの隣にいたサディラ様は、その青い瞳を輝かせて歓声をあげました。
「またメイサで遊べるなんて、嬉しすぎますわ」
「メイサと、だろう。サディラ」
 うっかり本音をもらされたサディラ様の言葉を、エラキス様が冷静に訂正します。
 ……知ってはいましたけれど、やっぱりわたくしは、みなさんのオモチャのようです。

 それから、むかしのように着替えさせられて、最終的に淡い桃色のふんわりとしたドレスを着たところで、お三方はとりあえず満足なさったようでした。
 幸いなことに、久しぶりだったのでサイズが合わないものが多くて、山のようなドレスの半分にすこし欠けるくらいを着ただけで済みました。おかげで、わたくしには珍しく、まだ少しばかり余力があります。
 時間も短くて済んだので、ギエナ様の「少しお茶でもいただいてから帰りましょう」という言葉にしたがって、わたくしはドレスを片づけました。エラキス様が王宮づきの侍女の方に頼んで、お茶を用意してくださいます。

「やっぱり、メイサはピンクですわ」
 そうおっしゃったのは、わたくしの前に腰かけたサディラ様でした。
 木でできた素朴なテーブルの上には、わたくしにはとても淹れられそうもない良い香りのお茶と、おいしそうなお菓子が並んでいます。
「そうだな。今日着ていた枯葉色のドレスも良かったが、メイサはこのくらい甘さがある方がより映える」
 サディラ様の隣に座って、ティーカップを手にしたエラキス様がそう付け加えます。
 わたくしが着ているのは、スカート部分がふんわりと広がった女性らしいデザインのドレスでした。このあいだのお茶会のときや、お屋敷から着てきたものに比べて、確かにふわふわの可愛らしいドレスです。色は淡く、いかにも可愛らしい桃色。それに、いたるところに白いレース飾りがついているので、むかしのことが思い起こされてどきどきします。髪も、花とレースで飾られて、身なりだけは本当にお人形のようです。
 ……やっぱり、わたくしには似合いません。
 ところが、わたくしの隣でのんびりとお茶を口に運んでいたギエナ様は、洗練された仕草でティーカップをテーブルに置くと、わたくしにお顔を向けておっしゃいました。
「そうですわね。メイサは自分で選ぶと、控えめすぎるのですもの」
「……そうでしょうか」
 わたくしからすると、このドレスはわたくしには可愛らしすぎるのです。
 あかぬけない濃い金髪と、オリーブ色の瞳のわたくしには、桃色よりも象牙色や枯葉色の方が合っていると思います。デザインも、いらないところに肉のついているわたくしは、できる限りほっそりと見えるものを選びたいのです。
 わたくしがうなだれていると、ギエナ様が言葉を継ぎました。
「悪くはありませんのよ? 貴女が選ぶものはいつでも、伯爵夫人らしい品のある格好だと思います。けれど、貴女の魅力は可憐さです。せっかくの武器なのですもの、活かさなくては惜しいではありませんか」
「そうですわ、メイサ。わたくしたちを見習いなさい。自分の武器をよく見極めて最大限に活かしているでしょう?」
 サディラ様もそう付け加えます。
 おっしゃっていることは良く分かるのです。実際、わたくしの目の前のお三方はご自身の長所をよく見極めて、それを伸ばすようになさっているのだと思います。それゆえに、お顔立ちは姉妹ですからやはりどこかしら似ていらっしゃるのに、ギエナ様は知的で怜悧な佳人、エラキス様は中性的で意志の強そうな麗人、サディラ様はあでやかで華やかな美人、といったまったく違う雰囲気を身にまとっていらっしゃいます。
 けれど、ふためと見られないというほどひどくはないと思いますが、ごく平凡な容姿のわたくしは、長所を伸ばす前に短所をカバーしたいのです。こればかりは、美貌のお三方にはなかなか理解していただけません。
 これはもうラドファイル家にお世話になっていた頃からずっと平行線の話題ですから、わたくしは「はぁ」とあいまいにうなずいて、出していただいたお茶を口に運びました。やっぱりとても良い香りです。
 ギエナ様とサディラ様は、目を合わせて苦笑すると、やはりお茶を口に運ばれました。

 エラキス様のお部屋は王宮の三階。女王陛下の私室のごく近くにあるそうです。
 お部屋の片面はほとんどが大きな窓で、バルコニーに出ることもできるようになっています。お茶をいただきながら窓の外をながめると、そこには森のように広大な庭園がひろがり、その先には町まで見えていました。
 日はもう傾きはじめていて、黄色っぽい秋の光がところどころ赤く染まった庭園の木々を照らしています。

「ところでメイサ、結婚生活はどうです?」
 四人でお茶を飲みつつ、ようやくのんびりと世間話に花を咲かせていると、ふいにギエナ様がそうおっしゃいました。あまりだしぬけに聞かれたので、「どう」というものの中身が何なのやら、さっぱり見当がつきません。
「どう、と申されますと?」
 正直に聞くと、ギエナ様は特に気にした風もなく言葉を続けました。
「つらいことはない?」
 カップをテーブルに置き、やや首をかしげたギエナ様は案じるようにわたくしをご覧になっています。わたくしは答えました。
「いいえ、ございません。ルファルド様にはとても良くしていただいています」
 本当に、ルファルド様はもったいないほどわたくしを気づかってくださっています。どれだけ家事をがんばっても、なかなか追いつかないほどです。
 わたくしの答えに、ギエナ様は「それならば良いのだけれど」と言葉を濁してふたたびお茶を口にしました。
 わたくしは首をかしげました。ギエナ様はわたくしが回りくどい話し方が苦手なことをよくご存知です。ですから、わたくしに対してこんなに歯切れが悪いのは珍しいのです。
 わたくしが不思議に思っていると、サディラ様が口を開きました。
「心配していましたのよ? 貴女がよりによってあの死神伯爵に嫁ぐと聞いたときには、わたくしたち三人で父上様を問いつめましたもの」
「死神伯爵?」
「お姿が怖いでしょう? だから、社交界ではもっぱらそう呼ばれているのです」
「……」
 確かに、怖いお姿です。わたくしも婚礼のときには悪魔か死神みたいだと思いました。……やっぱり他の方もそう思うのかと、わたくしは妙に納得してしまいました。
 もっとも、わたくし自身は、最近はすっかりあのお顔にも慣れてしまったので、綺麗だなと思うことはあっても、怖いとは思わなくなっています。社交界の方々は、そこまでルファルド様をじっと見る機会もないでしょうから、そう呼ばれてしまうのかもしれません。
 わたくしがそんなことを考えていると、サディラ様は少しばかり語気を荒げて言葉を続けました。
「貴女ならばもっと良い縁談がいくらでもあったでしょうに、どうしてあの方なのでしょう。父上様がたのお考えが分かりませんわ」
 わたくしは目を丸くしました。サディラ様はお三方の中ではいちばん気性の激しい方ですが、それでもこんな風に語気を荒げることなどめったにありません。
 エラキス様も驚かれたのか、「サディラ」とたしなめるようにそのお名前を口にします。その様子を見ていたギエナ様が、小さく息をついてわたくしに言いました。
「サディラはメイサをコルヒドレ様に取られたような気がして、拗ねているのですよ」
「そんなことはありませんわ」
 サディラ様はそうお答えになりましたが、そのつややかな唇をとがらせています。

 きっと、皆様はわたくしを心配してくださっているのでしょう。急な縁談でしたし、コルヒドレ家は一般的な貴族の方からすれば貧窮していますし、懸念を持たれても不思議はありません。
 わたくしは戸惑いました。わたくし自身は自分の結婚にこの上なく満足しているのですが、周囲からはそう見えないようです。どう言えば分かっていただけるかしらと首をひねりましたが、頭の回転の遅いわたくしには、名案なんておいそれとは思いつきません。
 わたくしは結局、できるだけ静かに、落ち着いた声で思ったとおりにお答えしました。
「わたくしにとって良い縁談、というのであれば、ルファルド様以上の方はいらっしゃらないと思います」
 お父さまの見る目は、やはり正しいのです。ルファルド様は、お顔は怖いですが優しいですし、一緒にすごしていてとても居心地が良いのです。
 ところが、わたくしの答えにお三方はそろってじっとわたくしの顔をご覧になりました。美女三人に凝視されると、どうしてもたじろいでしまいます。

 わたくしがどぎまぎしていると、やがて、はじめに口を開いたのはエラキス様でした。
「本当に?」
 それにわたくしが答えるよりも前に、ギエナ様が続けます。
「サディラだけではなくて、わたくしたちも心配していましたのよ? この間も、計算ずくで結婚するのは普通だとか言っていましたし」
 やっぱり、心配されていたらしいです。このあいだのことは、そんなつもりで言ったわけではないのですが、余計に不安にさせてしまったようです。
 ギエナ様は身体ごとこちらを向くと、わたくしの手をとりました。
「それは、貴族の娘としては普通の価値観です。けれど、それだけでもありません。このふたりをご覧なさい。我がままを通して未だにひとり身でしょう?」
「……」
「……」
 わたくしがそちらを向くと、エラキス様とサディラ様はそろって目をそらします。エラキス様は二十一、サディラ様は十九ですから、お二方ともすでにご結婚なさっていてもおかしくはない年齢です。
 もちろん、ラドファイル家のご令嬢ですから相応の嫁ぎ先を整えるのが大変なのでしょう。何しろ国でも一二を争う名家です。けれど、目をそらしていらっしゃるということは、お話がまったくないというわけでもないようです。
 長女として早々に婿君をお迎えになったギエナ様は、ちらりとおふたりを見やると、ため息をついてふたたびわたくしに顔を向けました。
「それにひきかえ、メイサは自覚がありすぎです。貴女らしいですけれど、それはそれで心配です。貴女のことですもの、きっと父上様に言われれば諾々と従ったのではなくて?」
「諾々というわけではありませんが……」
 一応、話を持ち帰ったお父さまに取り消してきてくださいと言いましたし、諾々と従ったつもりはありません。
「わたくしが話を聞いたときには女王陛下に報告済みだったので、わたくしの一存ではどうこうできませんでした。ただ、よくよく聞けば悪いお話でもありませんでしたし、何より、わたくしはお父さまの人を見る目だけは信じていますから」
 わたくしが苦笑しながらそう付け加えると、目をそらしていたサディラ様が「まぁ!」とお声をあげました。
「一言の相談もなかったなんて、わたくしだったら怒りますわ!」
「……自覚の薄いサディラの話は置いておいて、わたくしだって、婿選びにはそれなりに主観も交えましたことよ?」
 ふたたび唇をとがらせるサディラ様を尻目に、ギエナ様はそう言います。サディラ様はひとつだけですがわたくしよりも年上ですし、むかしから大人っぽく見える方でしたが、今は小さな子どものような仕草がとても可愛らしいです。
 ギエナ様はまっすぐにわたくしの目をご覧になりながら続けました。
「貴女は貴族や身分という枠に囚われすぎです。貴族の生まれではないのに……いいえ、そうでないからかしら? とにかく堅苦しく考えすぎだと、わたくしは思います」
「……」
 ギエナ様の言葉に、わたくしはあいまいに微笑みました。
 図星だったからです。
 何をするにも身分、身分、身分と言われるのを嫌がりながら、誰よりもわたくし自身がそれに囚われている。分かってはいるのですが、わたくしにもどうして良いのか分からないのです。
「それが悪いとは言いませんが、わたくしたちだって貴族である前に人間です。貴女の場合は、もう少しくらい我がままを言っても良いのではなくて?」
 ギエナ様はそう言って、本当のお姉さまのような優しい瞳でわたくしを見つめます。
「……」
 わたくしはうつむきました。心から心配してくださって、嬉しい気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまったのです。
 ギエナ様はつないだわたくしの手をぎゅっと握りしめました。顔をあげると、ギエナ様は真面目なお顔で続けます。
「ねえ、メイサ。本当に大丈夫なのですか? 貴女は我慢するのが上手いから、わたくしたちは心配なのですよ」
 ギエナ様の言葉に、向かいに座っているお二人も真面目なお顔でうなずきます。
 血のつながりはなくとも、わたくしは良いお姉さまを三人も持って、本当に幸せ者です。
「本当に、わたくしは大丈夫です」
 わたくしはギエナ様の紅玉の瞳を見つめて答えました。
「ルファルド様は、いつもわたくしを心から気づかってくださいます。まだ三月ですからやっと慣れてきたところですが、ルファルド様とならば、わたくし、ちゃんと家族になれると思うのです」
 ぎこちなかったあいさつも、最近はもうだいぶ慣れてきました。少しずつですが、わたくしはそうやってルファルド様と家族になってゆけると思います。ルファルド様は、わたくしにそう信じさせてくださるのです。
 わたくしの答えに、ギエナ様は「そう?」と小さく首をかしげました。
「はい」
 わたくしがきっぱりとそうお答えすると、ギエナ様は「そう」と小さくつぶやいて、ようやくふわりと優しく微笑みました。

(C) まの 2009