三月十四日、正午。
駅前のショッピングモールにて、俺は立ち往生していた。
あの、心臓が故障しそうなバレンタインデーから一カ月。
ショッピングモールは言うまでもなく、ホワイトデー一色だ。その一画をうろうろしている俺も、一応はその客のひとりということになるのだろう。
ホワイトデー。世の中には三倍返しなんていう恐ろしいしきたりもあるらしい。
去年までは完璧に義理チョコだと思っていたから、クッキーとかを適当に渡していた。が、今年のバレンタインはアレだ。しかも、残った半分も次の日、同じように強制的に食べさせられた。
アレの三倍も何をどうやって返せばいいのやら……悩まざるを得ない。ここ二週間くらい、ここへ来るたびにうろうろしていた。
梨佐へのプレゼント選びというのは、とても単純で、その実かなり奥深い。
だいたい、俺からというだけであいつは喜ぶのだ。しっぽをちぎれんばかりに振りまわす子犬のごとく、本当に喜ぶ。受験だからと良さそうな参考書をやった時ですらその紙袋を抱きしめて例のとおり「ありがとー!」と笑っていたくらいだ。
だから基本、何を贈っても良いのだろう。
実際やってみたことはないから分からないが、極端な話、あいつはミカンひとつだろうが、紙きれ一枚ですら喜ぶ気がする。
だからこそ。
あいつの心を鷲掴みにする会心の一撃を用意するのは、至難の業なのだ。
十年以上のつきあいだ、梨佐が好みそうなものの、だいたいの傾向は分かる。
梨佐は基本的に、「カワイイもの」が好きだ。特に絵本が好きで、この年になっても本屋で待ち合わせをするとだいたい絵本コーナーにいる。人混みが嫌いだからめったにないが、それでもあいつの買い物に付き合うと、ファンシーショップがいちばん長い。
必然的に、あいつへのプレゼントの第一条件は「カワイイもの」になる。
この俺が! カワイイもの!
ダイエットを続けて約一年。15kg以上は痩せたが、まだ大台100kgは切れていないし関取体型は変わらない。成長期だから身長は伸びているが、梨佐もまだ伸び続けていて抜かすに及ばず。誰が見ても十人中十人が不細工と言うだろうこの俺が!
似合わない! 壊滅的に似合わない!
……さんざん悩んでプレゼントを決めても、その後さらに煩悶することになる。
その「カワイイもの」をレジに持って行ってプレゼント包装をしてもらわねばならない、その情景を思い浮かべるだけでも俺にとってはものすごいプレッシャーだ。買った後にはしばらく立ち直れないくらいの精神的ダメージを受ける。
今回も、モノは決まった。
見つけたとき、直感的にこれしかないだろ、と思ったのだ。かなり自信がある。これなら梨佐は俺からでなくても絶対に喜ぶに違いない。
が、例のプレッシャーに勝てず、今の今までレジへは行けなかった。
しかし……もうそろそろタイムリミットだ。腕時計を見ると、時計の針は十二時半を示している。
一カ月前と同じように、今日も梨佐は家で昼飯を作って待っている。そろそろ帰らないと、あいつのことだ、泣き出すかもしれない。
目の前にはターゲットが置いてあるファンシーショップ。いかにも梨佐が好きそうなこの店に入るところからして、俺の羞恥心ゲージはがんがんと恐ろしい速さで減ってゆく。
だが……やるしかないのだ。
為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり。
がんばれ俺、ファイトだ俺! 根性を見せるんだ男だろ俺!
速足でファンシーショップへと侵入し、ターゲットへ一直線。ひったくるようにして掴むと、ぎょっとしたような顔で俺を見る女子たちをできるだけ視界に入れないようにしてレジに直行した。「ご自宅用ですか」とかふざけたことをほざく店員に(俺が自分でこんなの使ったら怖いだろ不気味だろっ!)、「プレゼント用に包装してください」と努めて冷静に応える。「少々お待ちください」のその少々が長いことながいこと! おろおろイライラうろうろしながら一日千秋の想いで待ち焦がれ、これまた可愛らしくラッピングされたブツを受け取る。「ありがとうございました」と完璧な笑顔で言う店員は間違いない、プロだ。羞恥心ゲージが振り切れた俺は精神に深刻なダメージを受けつつその場を足早に立ち去った。……しばらくはあの近辺に近づけない。急いでショッピングモールを出たが紙袋までポップでキュートなこの仕様が俺を泣かせる。頼むから俺を透明人間にしてくれと信じてもいない神に祈りながら、俺はかけ足で自宅へと逃げ帰ったのだった。
「礼ちゃぁあん、おかえりぃいー!!」
最後には猛ダッシュで家に駆け込むと、案の定、半泣きの梨佐が突進してきた。
「おそいよぅ、心配したよーぅっ!」
ぜいぜいと肩で息をする俺に、ひたと抱きついてくる。梨佐は今日も手加減を知らなくて、力一杯に俺のぜい肉を押しつぶす。
いつもならば「いきなり抱きついてくんな!」と怒鳴るところだが、今日はもうそんな気力も体力もない。俺はただ深いため息をついて、息が整うのを待った。
「……少し落ち着け」
やっと(さっきに比べれば)平常心を取り戻した俺は、自分にも言い聞かせるようにそうつぶやいた。梨佐はまだぐずぐずしながら俺にくっついている。頭を撫でると、「だってぇ」とかなんとか、舌足らずにごねる。
俺はべったりと張り付いた梨佐をはがすと、その手をとってリビングに移動した。リビングとひと続きになっているダイニングのテーブルには、梨佐が用意したのだろう。昼飯用の皿が並んでいる。
とりあえず梨佐をソファに座らせて、俺も隣に座った。
「ん」
「……?」
俺が持つには恥ずかしすぎる紙袋を梨佐の前にかざす。こういうものは、とっとと渡してしまう方がいい。梨佐は不思議そうにその紙袋と俺を見比べる。
「ホワイトデーだろ。これ買ってて遅くなった」
むしろ買えなくて遅くなった。梨佐はそのでかい目をまんまるにして俺を見ている。ずっと持っているのも気恥かしくて、俺は紙袋を梨佐に押し付けた。
「ほわいとでー……」
梨佐はまだよく分かっていない様子でぽつんとつぶやく。ぼんやりと、俺にうながされるがままに紙袋から中身を取り出して、綺麗にラッピングされた袋のリボンを丁寧にほどいた。
「!」
それを広げると、梨佐はぱっと俺に向き直った。
「これ……梨佐に、ホワイトデー??」
「おまえ以外に誰がいるんだよ」
相変わらず日本語がおかしい梨佐に、少し脱力しながら応える。その答えに、梨佐は広げたそれをしげしげと眺める。
しかし……反応が薄い。下手をしたら、参考書以下かもしれない。
まさか、あれだけさんざん煩悶したのに選択を誤ったのか?
そう思った、その時だった。
「ぅきゃー!! 礼ちゃんありがとーっっ!!」
いきなり叫ぶように言って、梨佐は勢いよくソファから立ち上がった。ソファの周りをぴょんぴょんと、本当にとび跳ねだす。
「うぉっ」
あっけにとられていると、一周してきた梨佐に勢いよく飛び乗られて、俺は思わず咳込んだ。今、みぞおちに入ったぞ!
しかしテンションが急上昇した梨佐はそんな俺にお構いなしで俺をソファに押し倒した。
「きゃーきゃーきゃー! ぐるんぱだよぐるんぱーっ!」
片手でそれを――梨佐お気に入りの絵本のキャラクターがプリントされたトートバッグを抱きしめて、片手で俺にしがみついてくる。興奮を抑えられないらしく、足をばたばたとさせるのが弁慶の泣き所にオールヒットしてかなり痛い。
「お、落ち着け! 落ち着けって梨佐!」
悲鳴まじりの俺の声も、今の梨佐には届かなかった。暴れる梨佐を支えきれずに、二人して床に落下する。梨佐を乗せたままでは受け身もとれず、思い切り背中を打ち付けてめちゃくちゃ苦しい。
梨佐はまだまだテンションが突き抜けてしまっていて、ムチャクチャに俺に頬ずりしてくるから、俺はもう目が回りそうだ。
……喜ぶだろうとは思ったが、ここまで狂喜されるとは。
だがしかし。
「礼ちゃん礼ちゃん礼ちゃん礼ちゃん!! ありがとぅ! うれしい! 大好きーっっ!!」
梨佐は俺の上で身体を起こすと、トートバックを宝物みたいに抱きしめて、とびきりの、そりゃあもう可愛い顔で笑ったから。
まぁ、俺の羞恥心が擦り切れるくらい、どうってことはないのかもしれない。